そして、これからのこと。。。
いろいろやってみて、いま残るものは
「感じる心を持った子、生きる力を持つ子どもたちを育てていきたい」と、いうこと。
というか、人間本来そのものの赤ちゃんを
技術優先の世界でねじ曲げないで、そのままに育てていきたい。
そして大人には、大切なこと、みなもとを思い出させることをしたい。
そこが、わたしの活動の原点です。
そして歌があり、様々な活動があります。
「私がやらなきゃ世界はこのまんまだ」とパンク精神からどうしてここへ辿り着いたかというと…
目先のことばかりで世の中と闘っていては、それまでだと思っていて
今までも
「脳みそなんて置いておけ!」
「あかちゃんになろう~」
「空ばかり見上げないでその奥の宇宙を感じて」
「総てはお母さんだろう」
などと大きな目線で歌を歌ってきました。
でもこれは、もうこの世の中に慣れてしまって大人になってしまった人たちへのメッセージにしかすぎない。
私の中では、何かを取り戻す、ということで。
悪い姿勢に慣れて歪んでしまった骨盤を矯正しよう、そんなような。
じゃぁ悪い姿勢にならないようにこれからの子供たちを育てよう、という。
こんな世の中を作ってしまった大人たちの手で育ってしまう子供たちは
もっと大切なものを見失って育っていってしまうんじゃないか、と思うのです。
そしてね、実際にどう活動していくかっていうのはまだわかんないんだけど
保育士になる、教育関連の仕事に就く、といった希望は無いので
独自の形で何か新たに動き出すと思います。
まだ模索中だけど
こんなことやっている人がいるよ、こんな活動あるよ、等など
何か情報があればおしえていただきたいです!
経験として保育園で働いてみたり
資格をまずとってみようかという気もしています
保養活動「しのばらんど」を通して改めて実感したのは
放射能の少ないところで過ごすということでなくても
子供たちにとって自然に触れ合ったり、自然の中で過ごすということは
とっても何よりも、大事だということです。
今や、コンクリートや整備された砂の上でしか遊んだことが無いという子は、都内や全国でも少なくないと思います。
また人工的なおもちゃや電子的なツール、想像性が閉ざされる知識なんてものは
まだひらいたままの子供たちのチカラやエネルギーを閉ざしてしまい、
生涯それをクリアできずに、大人になってからもそれを伴い続け、もがいてしまいます。
ここで重要なのは、
自然は人が生きていくという事において、サブ的なものではないということです。
考え尽くされた人工的なものより遥かに
人を豊かに、自然な流れで育んでくれます。
だから、大人になっても自然から学ぶことは多いはずです。
赤ちゃんは、そうした自然とまだ繋がっている状態で生まれてきます
それを切り離してしまうから、泣くのです。
そのまんま、育ててあげたい。
自分の力で生きる力を…自発的に行動したり、愛をそのまま持ってゆける子を育てたい。
そうしたら、誤った選択をする人間にはならないと思うのです。
心がある。
大地とつながる心があるから。
と、思っています。
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